素朴であること
「素朴」という言葉が、近頃わたしのテーマです。素朴なまま生き、素朴なまま死ぬことができたなら、それはすごく幸福なことではないかと思うのです。
素朴な言動や姿勢は、その人の人生を丸ごと肯定しうる力を持つかのように感じるのです。素朴な人を見ると、彼のそれまでの人生が、良い人生だったと証明されているように感じるのです。
わたしは、素朴になりたいのです。もっと、素朴でありたいのです。
嬉しい時には微笑みたいし、怒ったときには悲しみたい。悲しいときには優しくありたい。それが素朴ってものだと思うのです。
分からない時には、ただ、首をかしげたい。分かっている時には、ただ、落ち着いていたい。大海を知らないことを、知っている。そんな井の中の蛙に、わたしはなりたいのです。
凄いと思ったのなら、どんなものでも、凄いと言いたい。嫌だと思ったのなら、どんなものでも、嫌だと言いたい。言葉を覚えたのは、想いを伝えるためだったということを覚えていたいのです。
鼓膜に伝わる振動から、あなたのさみしさを汲み取りたい。そしてわたしのさみしさで、わたしの喉を震わせたい。わたしは覚えていたいのです。さみしさ以外は雑音なのだということを。
知らないことは、「知りません」、できないことは、「できません」と、すっきり、はっきり、言い切りたい。ただ、本当のことを言いたいのです。
世界からにじみ出る色を感じたい。そして、自分からにじみ出る色で答えたい。他の色で塗りつぶされても、それでもにじむその色で、わたしは世界を彩りたいのです。
あらゆる矛盾に苛まれ、絶望していたい。人生の意味など、分からないまま生きていたい。そんな世界と、そこに生まれたわたしを、そのまま受け入れたいと思うのです。
わたしは素朴でありたいのです。素朴に素朴でありたいのです。